2004年シーズン、惜しくもプレーオフ進出を逃した千葉ロッテマリーンズ。
しかしながら、将来を見据えた戦いぶりには大きな期待を抱かせた。
そして、躍進の要因の1つにはファームから上がった若手選手の活躍を挙げることができる。
今年からファームの監督になったハイディ古賀と浦和マリーンズの1年を追った。

【3】
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[15]ベテランの奮起 7/5

 マリーンズ2軍に若さが消えた。若手選手の相次ぐ1軍昇格で、2軍には中堅・ベテラン選手が顔を並べるようになった[別表参照]。特に野手においては若手の絶対数が少ないだけに、ことさらその印象を与える。
 アメリカで言えば、まさに3Aの光景だ。
 メジャーの1つ下に位置するこのレベルには、伸び盛りの若手と峠を過ぎたベテランが混在している。そんな中で、ベテランが再びメジャーの舞台に返り咲く機会は少ない。上で故障者が生じた場合の代替候補であって、あくまでも若手のサポート役として試合に起用される。それでも彼らが必死でこの世界にしがみつくのは、僅かながらの可能性の追求と、少しでも長く野球を続けたいという純粋な動機だ。
 独立リーグを含め、そうした選手を受け入れる土壌がアメリカには存在する。例え給料が低くても、過酷な移動を強いられても、望めば叶うだけ好きな野球を出来る。
 翻ってニッポンファームでは、そこまでの猶予期間は与えられない。ベテランにとって、1つ1つの試合が死活問題となる。

 「アメリカの球団で指導者になるとしたらどのレベルで教えたいか」と尋ねると、ハイディ古賀は迷うことなく「2Aだな」と答えた。
 伸び盛りの若手選手だけで構成されるマイナーリーグの2Aではベテラン選手は皆無に近い。そうしたレベルでの指導に憧れを抱くだけに、ベテランに配慮しなければならないニッポンファームの状況は本意ではないかもしれない。
 それでも「ベテランを飼い殺しには出来ない」と常々話す。瀬戸際に立たされた恐れ、少しでも野球を続けたいという情熱を強く理解している。
 その背景には、01年にソノマ・カウンティ・クラッシャーズ(独立リーグ)で佐々木誠と過ごした1シーズンがある。
 ハイディ古賀はベンチコーチとして、佐々木は選手として5カ月間に渡り生活を共にした。過去には首位打者も獲得した日本のトッププレイヤーが月給20万円程度でも野球を続けたかった。アメリカの小さな田舎町で野球を楽しみ完全燃焼した佐々木。そんな姿をハイディ古賀は隣で見てきた。

 今年36歳になる浜名千広は、ホークス、スワローズを経て今季マリーンズにテスト入団。開幕から1軍に帯同するも、6月14日に西岡剛との入れ替えで2軍へやって来た。
 6月19日のシーレックス戦、初回に先制2ランを放つなど3打数3安打3打点の活躍で、チームを単独首位に押し上げる原動力となる。
 その翌日、「浜名、昨日バレンタインと話したけど、お前の活躍を伝えるのを忘れてしまったよ」とにこやかに声をかけるハイディ古賀。「それだけはお願いします」と苦笑混じりに話しながら、ダグアウトを後にした浜名。ホークス時代から互いを良く知り、心を読み取りあった2人の会話がそこにはあった。
 浜名はその後も14打数9安打と打ち続け、6月28日に1軍へ返り咲いた。それも、打率1割台と苦しむが、先と見られていた渡辺正人を差し置いての昇格。
 「ファームの成績、数字がものを言うんだよ」とハイディ古賀は説明した。

 先月35歳を迎えた垣内哲也は、ライオンズからトレードでやって来て2年目。30歳代の中で今季1軍登録されていない唯一の野手だが、マリーンズに欠けている長打力を備えている。
 故障で開幕には出遅れたものの、その後は好調を維持して快音を連発。風に流されて外野フェンスを越えるホームランが多い中、垣内の当たりは外野手が一歩も動かない。今江敏晃が抜けて不足している長打力を補って余りある。
 6月15日のジャイアンツ戦、8回裏にサンタナの速球を軽々とレフトに弾き返す一発でチームを勝利に導いた。「垣内に救ってもらっているよ」とその活躍を称える。
 6月29日のファイターズ戦、チームの2得点はいずれも垣内のソロ本塁打だった。
 「いま1軍に最も近い距離にいる」の言葉通り、その2日後に垣内は今季初の1軍昇格を果たした。

 腐らずひたむきに取り組み掴んだ1軍への切符。今回の2人の昇格が他のベテラン選手に希望を与えたことは確かだ。次の若手選手の昇格を楽しみしているファンにとっては、「今さらベテラン」かもしれない。だが、公正な評価を下していることの結果でもある。
 「ベテランにとってはあつい夏になるよ」と話すハイディ古賀の言葉にも力がこもる。
 イースタンリーグは6チームが1ゲーム差にひしめく大混戦で6月を終えた。暑い、熱い7月が始まる。

[30歳代選手のこれまで]
年齢
開幕
7月4日
選手
入団年とドラフト順位
30
1軍
1軍
薮田安彦(投)
96年2位
2軍
2軍
黒木知宏(投)
95年2位
2軍
2軍
舩木聖士(投)
96年1位タイガース→03年マリーンズ
1軍
2軍
小坂誠(内)
97年5位
31
1軍
1軍
藤田宗一(投)
98年3位
2軍
1軍
山崎健(投)
91年4位
32
2軍
2軍
曽我部直樹(外)
96年4位タイガース→04年マリーンズ
33
1軍
2軍
波留敏夫(外)
94年2位ベイスターズ→ドラゴンズ
→03年マリーンズ
2軍
1軍
垣内哲也(外)
89年3位ライオンズ→03年マリーンズ
1軍
1軍
井上純(外)
89年3位ホエールズ(ベイスターズ)
→03年マリーンズ
34
1軍
1軍
堀幸一(内)
88年3位
1軍 1軍 浜名千広(内) 92年3位ホークス→スワローズ
→04年マリーンズ
1軍 1軍 諸積兼司(外) 94年5位
35 2軍 1軍 高木晃次(投) 87年1位ブレーブス→ホークス→
スワローズ→02年マリーンズ
1軍 2軍 原井和也(内) 96年5位ライオンズ→03年マリーンズ
1軍 2軍 佐藤幸彦(外) 87年4位
37 1軍 1軍 初芝清(内) 89年4位
38 1軍 2軍 小宮山悟(投) 90年1位→ベイスターズ→メッツ
→04年マリーンズ
年齢は2004年4月1日現在

[第15週]
勝敗
相手
球場
昇格
降格
6/28(月)



浜名千広

6/29(火)
●2-6
F
ロッテ浦和


6/30(水)
中止
F
ロッテ浦和


7/1(木)



内竜也
7/2(金)
●2-5
S
平塚
垣内哲也

7/3(土)
●2-3
S
横須賀


7/4(日)





<60試合経過>29勝31敗


[14]ドラフト1位 6/28

 今江利晃、西岡剛、内竜也、今季のマリーンズ2軍を引っ張ってきた若手3人の1軍昇格で、チームにはどこかぽっかりと穴が空いてしまった。ややもすると活気が失われがちだが、ハイディ古賀は手綱を引き締め5割ラインに留まる戦いを展開している。
 シーズンの折り返しとなる50試合目を千葉マリンで落としたものの、25勝25敗という成績に「とりあえず5割で迎えられてホッとしたよ」と、安堵の表情を浮かべた。
 チームの勝敗と共に気になるのは、次に誰を育て上げるのか。候補はたくさんいる。だが、その中には必ず1軍で活躍しなければならない選手もいる。「ドラフト1位」、彼らの成長はチームの浮沈を左右する。

 上宮高校からドラフト1位で入団した渡辺正人は7年目。
 過去2年は1軍に帯同し、今季は4月19日に左手親指を骨折する。スタメン出場のチャンスを掴んだ矢先の悲劇だった。
 その後6月2日に2軍で実戦復帰してから1カ月が経とうとしている。本人としては、1軍に復帰するまでの調整と捉えていただろう。2軍での結果がどうであれ、すぐに1軍へ戻れるものと考えていたかもしれない。しかし、そうした1軍選手という自負とプライドはハイディ古賀の一言で打ちのめされた。「簡単に上へ戻れると思ったら大間違いだぞ」。
 案の定、ここまでの内容は1軍選手のパフォーマンスとしては物足りない。16試合の出場で47打数9安打。肝心の守備でさえエラーを連発し、「1軍に行かなければならない選手がこんなんじゃ」とハイディ古賀を嘆かせた。
 1軍昇格は、後輩の西岡に先を越され、ベテランの浜名千広にも後塵を拝した。それ以前に「ベテランや下位指名の選手ならともかく、20代のドラフト1位が守備要員では」とハイディ古賀は苦言を呈する。
 1軍では2割前後の打率、2軍での最高打率も01年の.257と誇れるほどの数字を残していない。打撃に目をつぶり、成長途上の時期を守備要員として起用した代償を今まさに払っている。

 銚子商業からドラフト1位で入団した澤井良輔は9年目。
 1軍での出場は02年の41試合が最多だ。95年には「東の澤井・西の福留(現ドラゴンズ)」と高校球界を代表するスラッガーとして騒がれたのも今は昔となってしまった。
 澤井の周囲は常に明るい。チームメイトだけでなく、相手チーム、審判、関係者にも笑顔を振りまく。ファンの声援に応え、常連客と交流する姿は、ファームの主といった印象を与える。澤井は、悔しさ・焦りを決して表情に出さない。すでに気持ちの糸が切れてしまったのか。気丈に振る舞うために本心を笑顔で隠しているだけなのか。
 開幕戦を4番で迎えたものの、出番は徐々に減少している。

 加賀高校からドラフト1位で入団した田中良平は4年目。
 北陸の豪腕投手も1軍での出場は昨年の5試合のみで、その本領を発揮していない。今季は右肘痛で開幕に出遅れ、4月中旬に復帰したものの2度の登板機会のみで再び故障。ハイディ古賀が「フォームを変えてから良くなっているよ」と話していた矢先の離脱だった。ロッテ浦和球場では、スコアボードのカウント表示の点灯作業をしている。
 内竜也、三島輝史、浅間敬太といった年下の投手が登板する姿をネット裏から眺めている表情は浮かない。来週には復帰の予定。挽回のチャンスはまだ残されている。

 高校卒業後のドラフト1位を鑑みると、他チームを見渡しても真の成功選手は数えるほどだ。ましてや野手に限れば、球界を代表する一流選手に育ったのは、松井秀喜と城島健司ほどしか見当たらない[別表参照]。
 ハイディ古賀は、ホークスの2軍監督に就任した96年に2年目・19歳の城島に出会った。その頃は、リードもキャッチングも未熟のため投手陣から敬遠される存在であり、1年目は打撃力を活かして一塁手とDHで起用されていた。
 「捕手としてやれないのならば試合で使わない」と宣告し、「6番・捕手」で起用し続けた。その年、ウエスタンリーグで本塁打王に輝き、翌年から1軍のレギュラー捕手としての道を歩んだ。

 城島以上のインパクトを与える若手選手は、まだマリーンズにはいない。
 ドラフト1位はチームの明暗を左右し、チームの戦力構想を大きく揺るがす。アメリカのように各チームが50人近くを指名するドラフトとは違い、日本では1つ1つの指名に失敗が許されない。順調に成長すればスケールの大きな選手になれるが、その数は少ない。
 2軍で汗を流す3人の高卒ドラフト1位。1軍に帯同する内竜也、西岡剛。この中から球界を代表する選手を育て上げることが出来るだろうか。
 6月27日のシーレックス戦、浅間敬太の1失点完投勝利で貯金1のマリーンズは首位に立った。育成と勝負の両立。2つの舵を取りながら後半戦へ向かう。

[過去の高卒ドラフト1位]

H
L
Bu
M
F Bw T D G S C
B
1992




上田
佳範

萩原

谷口
功一
石井
一久


1993






安達
智次郎

松井
秀喜



1994





平井
正史

平田


山根
雅仁

1995
城島
健司

田中
宏和
サブロー
金村
嘉勢
敏弘
山村
宏樹




紀田
彰一
1996
斎藤
和巳

(福留
孝介)
澤井
良輔

今村
文昭

荒木
雅博

俊介
三木
長谷川
昌幸

1997

玉野
宏昌
前川
克彦

矢野


小山
伸一郎

伊藤


1998



渡辺
正人

川口
知哉
中谷


三上
真司

谷口
邦幸
1999
吉本
松坂
大輔


実松
一成
(新垣
渚)
藤川
球児


石堂
克利
東出
輝裕
古木
克明
2000

高山
宮本
大輔

正田


朝倉
健太

野口
祥順
河内
貴哉
田中
一徳
2001



田中
良平

(内海
哲也)

中里
篤史


横松
寿一
内川
聖一
2002
寺原
隼人

朝井
秀樹




前田
章宏
真田
裕貴
大竹

裕二
2003

坂口
智隆
西岡
尾崎
匡哉


森岡
良介

高井
雄平


2004



竜也



中川
裕貴
西村
健太朗

白濱
裕太

赤字は投手、青字は野手

[第14週]
勝敗
相手
球場
昇格
降格
6/21(月)



平下晃司
小宮山悟
6/22(火)
●3-5
YS
神宮


6/23(水)
●6-7
YS
神宮


6/24(木)




6/25(金)





6/26(土)
○7-4
S
ロッテ浦和

ミンチー
6/27(日)
○3-1
S
ロッテ浦和
セラフィニ
小坂誠
<57試合経過>29勝28敗


[13]2人のプロスペクト 6/21

 ロッテ浦和球場での試合後の恒例は守備練習、いわゆる特守である。
 「下手くそだから今のうちにやっておかないと」と佐藤兼伊知コーチから決まって指名されるのが3年目・今江利晃。自ら「小学生並みですから」と自嘲する守備は、打撃への注目度が高まるにつれてより鮮明に課題として映った。
 一方、室内練習場で高沢秀昭コーチの指導を受けるのは2年目・西岡剛。シーズン開始後から両打ちに転向し、右打席で汗を流す。
 今江と西岡、この2人のプロスペクトが未来のマリーンズの命運を握っている。

 3月27日、イースタンリーグ開幕戦。ハイディ古賀は、今江を6番、西岡を9番で起用した。
 「1軍のキャンプに帯同したから、どれだけの選手かと思ったら大したことない。今のままでは今江がクリーンアップを打つこともないし、西岡も上位に定着しないよ」と切り捨てる。そして「上に推薦出来るような選手はここにはおらんよ」と続けた。

 ハイディ古賀の中では、1軍と2軍の間に明確な隔たりが存在する。
 「ほとんどの選手が1軍を経験している」[別表参照]と昨年の状況を引き合いに出して、これまでの昇格方針を戒めた。
 その根底には、アメリカにおけるメジャーリーグとマイナーリーグの格差がある。
 メジャー(1軍)は、ハードルが高く、選ばれた者だけが到達出来る夢の舞台。5千人近く存在するマイナーリーガーの中で最終的にメジャーまで上り詰めることが出来るのは、20人に1人と言われている。
 ニッポンファームでは、最近好調という理由だけでいとも簡単に1軍へ送り込まれ、雰囲気を体感してあっさりと返される。本当の実力を付けて、2軍で数字を残してから上がって欲しいというのがハイディ古賀の願いだ。
 4月上旬には「今年はそう簡単には上げさせないぞ」と繰り返し胸の内を語った。今江の打撃フォーム改造、西岡のスイッチ転向が決まったのもこの頃だった。

 4月下旬、2人は徐々に頭角を現す。
 西岡は慣れない右打席でヒットも記録し盗塁を連発、今江は三冠王を狙えるほど打ちまくった。
 ハイディ古賀の評価は起用方法に如実に表れる。気が付けば打順は固定され、1番・西岡、4番・今江は試合の中で徹底的に鍛えられた。
 5月に入ると今江の1軍昇格を望む声が強くなる。
 ハイディ古賀は「上げるのならばスタメンとして使って欲しいと伝えてある。バレンタインもそこのところは分かっているはずだよ」と昇格の可能性も示唆しながらも、先発出場にこだわった。
 1軍では試合後の練習もなければ、夜間の打ち込みも出来ない。「試合に出ることが出来れば大きな財産になる」(ハイディ古賀)が、控えとしてベンチに座り続けるのならば、一日中野球漬けとなる環境に身を置いた方が賢明だ。
 5月15日には、試合後の守備練習が室内練習場で行われた。「今江に人工芝に慣れさせたい」というハイディ古賀の意向による変更は、1軍昇格が寸前まで迫っていることを予感させるものだった。

 5月下旬、2人はバレンタイン監督の前で猛烈なアピールを展開する。
 千葉マリンスタジアムでは、9回裏に西岡がヒットで出塁し、今江が同点打。西武ドームでは、西岡が2安打3盗塁、3安打2盗塁と連日の活躍を見せれば、今江は1点劣勢の9回2死1塁から逆転ホームラン。
 それでも一軍監督は慎重な姿勢を崩さなかった。そこには「1度上げたからには使い続けなければならない」という並々ならぬ覚悟があった。「1軍で試して駄目ならば下に送り返せば良い」と軽々しく考えていない点はニ軍監督と共通している。

 6月13日、今江と西岡は1軍への同時昇格を通告された。だが、2人を育て上げた高沢コーチも同時に1軍へ帯同するこのプランは、予定遅れの実現であった。
 1週間前に寸前まで進んだものの、1軍の3連勝でチーム状況が好転したために見合わせた経緯があった。
 昇格後、バレンタインは早速2人をスタメンで起用し、翌日には高卒ルーキー・内竜也が先発として1軍初登板。ファームから飛び出した3本の矢は、マリーンズ反撃の導火線となれるだろうか。

 ハイディ古賀の自室にはファンから寄せられたメッセージが掲げられている。
 「2軍は1軍に選手を送り出す為にあるんじゃないですか?」という一文に代表されるように、若手が昇格されない状況に業を煮やしたコメントが多い。しかし、本当の実力を身に付けないまま1軍との行き来を繰り返す選手を生み出すことは避けたい。
 「1軍に昇格する選手を増やすこと」が2軍の役割ではない。大事なのは「1軍で活躍出来る選手を送り込むこと」にある。

[2003年の若手選手の昇降格]
名前
当時の年齢
昇格
降格
1軍成績
2軍成績
西岡剛
18歳(1年目)
6/21
7/7
7試合 11打席
打率.333
77試合 300打席
打率.216
早坂圭介
18歳(1年目)
7/7
8/11
14試合 4打席
打率.000
76試合 276打席
打率.258
浅間敬太
18歳(1年目)
7/9
7/26
2試合 1回
防御率27.00
19試合 57.2回
防御率5.46
今江敏晃
19歳(2年目)
8/12
8/30
5試合 6打席
打率.333
70試合 235打席
打率.293
田中良平
20歳(3年目)
8/22

2試合 10回
防御率8.10
23試合 30.2回
防御率6.16
寺本四郎
22歳(5年目)
8/30
9/8
2試合 3打席
打率.333
80試合 214打席
打率.301
[23試合 2勝1敗9セーブ 37.2回 14四球 3死球 42奪三振 防御率2.15]

[第13週]
勝敗
相手
球場
昇格
降格
6/14(月)



今江敏晃
佐藤幸彦
6/15(火)
●4-3
G
ロッテ浦和
西岡剛
浜名千広
6/16(水)
●1-9
G
千葉マリン
内竜也
大塚明
6/17(木) ○11-3
G
ジャイアンツ


6/18(金)





6/19(土)
○10-8
S
ロッテ浦和


6/20(日)
●1-8
S
ロッテ浦和
神田義英
小野晋吾
<53試合経過>27勝26敗


[12]投手陣再編 6/14

 6月8日、李承_との入れ替えで2軍に戻ってきたセラフィニが初の先発マウンドに登った。
 リリーフ時以上の安定感と球のキレで10三振を奪い、6回を無安打に抑える好投を演じた。ノーヒッターへの期待も膨らんだが、久し振りの先発で96球を投じたこともあって、セラフィニ自らが申し出てマウンドを降りた。
 翌6月9日は、これまでリーグ最多の9セーブを挙げている抑えの切り札・内竜也が同じく初先発。
 初回こそピンチを迎えたが、その後は危なげなく5回を無失点に抑えた。本人は「まだ投げられましたが、周りに止めておけと言われました」と初々しく話す。
 予定では70球を目途にしていたが、勝利投手にさせたいという首脳陣の配慮で94球を投げた。
 2人の先発としての快投を振り返り、「やっぱり良い投手が投げると抑えるもんだな」とハイディ古賀は顔をほころばせた。

 ここまで勝ちゲーム用のリリーフを務めていた2人の突然の配置転換は、1軍からの要望に応えたものだった。バレンタイン監督としては、両者の先発としての適正、長いイニングを投げられるかの可能性を見極めたかった。
 これまでは、三島輝史、浅間敬太、戸部浩に神田義英が加わり先発陣を構成。雨天中止の恩恵を受けて週4人のローテーションで回すことが出来ていた。新たに2人がここへ加わったことに伴い戸部、神田をリリーフに回した。
 しかし、今回の投手陣再編はマリーンズ2軍の首を締めかねない危険性を孕んでいる。これまでは内・セラフィニという絶対的なリリーフが控えていた恩恵で勝利をものにしてきたが、今後は彼らなしの継投を余儀なくされるからだ。

 そうした不安は再編初日となった6月8日に早速現実のものとなった。
 セラフィニが6回までを完璧に抑え込んで1対0とリード、しかしイニングはまだ3回も残っていた。
 7回を抑えた山崎健が引き続き8回のマウンドへ。先頭打者を塁に許したものの後続を抑えて2死1塁、打席は左の紺田敏正。コーチ陣からの「左(打者)ですよ」と言う声を受けて、ハイディ古賀は瞬間的にダグアウトを飛び出す。ここで下した決断が試合の局面を大きく動かすことになった。
 替わった左腕・前田浩継はあっさりとヒットを許し、2球でマウンドを譲る。 
 引き継いだ戸部は瞬く間に3連打を浴びて一気に4点を献上した。
 「山崎を続投させておけば良かったのに相手が左打者なので咄嗟に交代を告げてしまった」とハイディ古賀は自身の継投ミスを悔いた。だが、左打者に対して左投手をぶつけるセオリーに何ら過失はない。責められるべきは左打者封じという自分の役割を果たせなかった前田であり、ブルペンでの準備もままならない戸部を送り込んでしまった首脳陣の連携にある。それでもなおハイディ古賀は、勝てる試合を自らのミスで落とした責任を引きずっていた。
 「血圧が上がり、頭の中が真っ白になった」指揮官は、8回裏の無死満塁というチャンスでも適切な代打策を施せなかったことを悔やんだ。試合後のミーティング、自責の念に駆られた指揮官は「申し訳ない、俺のミスだ」と選手たちに詫びた。

 6月12日のライオンズ戦でもブルペン陣の手薄さを露呈した。
 9回表2死1・3塁からの代打・垣内哲也による同点ホームランなどで一気に4点を奪い同点に追い付く。その裏、マウンドには長崎伸一が上る予定だった。現在のブルペンの中では唯一のクローザー候補がまだ残っていた。だが、まさかの同点で準備が足りなかったのか、まだ出来上がっていないという連絡が届く。そこで8回に引き続き酒井泰志を続投させた。
 しかし、先頭打者をヒットで許し四球も与える。ようやく長崎をつぎ込んだものの開いた傷口を抑えることは出来なかった。土壇場の同点劇で活き上がった熱気はサヨナラ負けで一気に萎んだ。
 ハイディ古賀は「負けたことは悔しいがみんなよくやった」と選手たちを労った。とは言え、延長戦に持ち込んで勝利を手繰り寄せることが出来なかったことが悔しかった。

 これまでにこうした問題が顕在化することもなかった。仮に綻びが生じたとしても、リリーフ・内が全ての破綻を覆ってくれていたからだ。絶対的なクローザーを失ったことで、チームの歯車が微妙にずれてきている。継投ミスを誘発したのもそれが一因だった。今後は内・セラフィニに替わる新たな勝利の方程式を構築する必要があるが、今はまだ目途が立っていない。
 ハイディ古賀は「抑えがいない」という嘆きを何度も口にした。勝負にこだわって育成していくだけに、勝てる試合を落とすことはチームの士気に影響する。本音を言えば、計算の出来る駒をリリーフとして手元に置いておきたい。しかし、上からの要望である以上、それに逆らうことは出来ない。
 貯金4で6月1日には一日限りの首位にも躍り出たが、その後は2勝6敗で貯金を吐き出した。5割ラインを巡る展開は、ジレンマを抱えながらの戦いでもある。

[内竜也リリーフの記録]
相手
球場
登板時の状況 [スコア]
回数
被安打 四球 三振 自責点

3/27
F
鎌ヶ谷
10回裏無死走者なし
[6-3]
1
1
1
2 0
S_
4/1
G
ロッテ浦和
7回表、無死走者なし
[2-7]
2
2
0
0 1

4/6
YS
ロッテ浦和
7回表、一死1・2塁
[2-2]
2.2
1
1
3 0

4/10
S
横須賀
7回裏、無死走者なし
[3-1]
1
3
1
3 2

4/11
S
横須賀
8回裏、無死走者なし
[5-2]
2
1
0
1 0
S_
4/14
L
ロッテ浦和
9回表、無死走者なし
[6-9]
1
2
3
2 2

4/17
G
熊谷
9回裏、無死走者なし
[11-6]
1
0
1
0 0

4/18
G
ジャイアンツ
9回裏、無死走者なし
[7-2]
1
0
0
0 0

4/20
YS
千葉マリン
9回表、無死走者なし
[3-8]
1
0
0
1 0
S_
4/22
YS
市営浦和
9回表、無死走者なし
[4-1]
1
0
0
0 0
S_
4/28
YS
戸田
9回裏、無死走者なし
[8-5]
1
0
1
0 0

5/2 F 鎌ヶ谷 8回裏、無死走者なし
[0-3]
1 0 0 1 0
5/7 F 千葉マリン 9回表、無死走者なし
[3-6]
1 2 1 1 3
5/9 G ジャイアンツ 8回裏、無死走者なし
[5-5]
2.2 0 1 2 0 L
5/11 G ロッテ浦和 9回表、無死走者なし
[12-9]
1 0 0 2 0 S_
5/13 G ジャイアンツ 8回裏、一死1塁
[2-0]
1.2 1 0 2 0 S_
5/19 S ロッテ浦和 7回表、一死走者なし
[3-1]
2.2 2 0 4 0 S_
5/25 L 西武ドーム 7回表、無死走者なし
[6-2]
3 1 1 7 1 S_
5/29 F 鎌ヶ谷 10回裏、無死走者なし
[8-8]
2 0 1 2 0 W
5/30 F 鎌ヶ谷 9回裏、無死満塁
[9-4]
1 0 0 1 0 S_
6/2 G ジャイアンツ 8回裏、無死走者なし
[4-6]
1 0 0 1 0
6/5 S 相模原 8回裏、無死走者なし
[2-4]
1 1 0 1 0
6/9
F
ロッテ浦和
<先発>
5
4
2
5 0
W
[23試合 2勝1敗9セーブ 37.2回 14四球 3死球 42奪三振 防御率2.15]

[第12週]
勝敗
相手
球場
昇格
降格
6/7(月)





6/8(火)
●1-4
F
ロッテ浦和


6/9(水)
○7-3
F
ロッテ浦和

黒木知宏
6/10(木) ●0-12
F
ロッテ浦和


6/11(金)



山崎健

6/12(土)
●7-8
L
上尾


6/13(日)
○7-3
L
上尾


<48試合経過>24勝24敗


[11]環境に耐える 6/7

 鎌ヶ谷駅からファイターズスタジアムへ運行されているシャトルバスの車内には、どういうわけかマリーンズの広告が掲げられている。千葉県をフランチャイズに置いているとはいえ、ファイターズに声援を贈るためにこのバスへ乗り込んでいるファンの心中はいかがなものか。その広告にはこんなキャッチコピーが躍っていた。
 「アジアの本塁打王を幕張で目撃せよ」

 だが、韓国の至宝はこれから向かうその先にいた。
 5月11日に降格を受けて以来、李承_は韓国時代にも経験しなかったファーム生活を余儀なくされている。
 李が2軍で成し遂げなければならないことは、失った自信を取り戻すこと。そのためには2つの課題がある。1つは日本の投手に対応するための技術的な修正を施すこと。もう1つは重圧から解放されて精神的な余裕を持つこと。
 これまでを振り返ると内角を中心とした配球に悩み過ぎてバットが出ていない。日本人投手の繰り出す球には想像以上のキレと威力があったようだ。
 慣れない2軍での生活は、試合以外の部分で振り回された。とりわけ「韓国の大学球場よりも劣る球場がある」と嘆くほど劣悪な2軍の環境が李に追い打ちをかけた。

 2軍生活の間にイースタンリーグの球場を歴訪したが、その中で最も衝撃を受けたのはスワローズ2軍の本拠地・戸田球場だった。
 2000年に発売された『イースタン・リーグ観戦ガイド』(ベースボール・マガジン社)の中でチーム担当者は次のように紹介している。
 「東京外環自動車道を走っていて荒川を渡る時、ひろ〜い河川敷の運動公園で草野球やってるなあ、楽しそうだなあと思ったこと、ありませんか? 草野球じゃなくて、プロ野球なんです。ヤクルトの戸田球場ですよ!!」
 チームをアピールする立場にある人間がこれほど自虐的になることからも分かるように、プロフェッショナルとはほど遠い環境がそこにはある。客席はバックネット裏に設けられた120席のみで、あとは立ち見か3塁後方の土手から眺めることを余儀なくされる。ロッカールームもなければシャワーを浴びることも出来ない設備は、選手にとっても苦痛だ。内野に敷かれた人工芝は1軍本拠地・神宮球場を想定した改修である一方、1999年8月の大雨でグラウンドが1ヶ月使用不能になったという惨状も背景にある。
 「球場」よりも「グラウンド」と表記した方が適切な環境は、韓国の国民的大打者に強烈な印象を残した。

 しかし、マリーンズ2軍の本拠地・ロッテ浦和球場も戸田球場のお粗末さを嘲笑うわけにいかない。
ロッテ浦和工場にほど近いこのグラウンドは、社員の福利厚生施設と形容しても過言ではない。内野席に備えられた数台の長椅子、視界を遮る巨大なネット、手動のスコアボード、仕切りが何一つないブルペン、中でも最大の特徴はフィールド外で選手と観客を遮断するものが皆無なことだ。選手はダグアウトを離れれば、観客と同じようにゲートを抜け公道を歩いて隣接する室内練習場に向かう。サインを欲しいファンにとっては堪らない環境だが、選手の安全面に対する配慮は薄い。李が試合途中に引き上げた時は100人以上のファンに取り囲まれて大変なパニックとなった。

 ハイディ古賀も「戸田と浦和はもう少し何とかならないかな」と口にしている。
 今から3年前、ハイディ古賀はソノマ・カウンティ・クラッシャーズのベンチコーチとしてシーズンを過ごした。メジャー傘下に属さない独立リーグにも関わらず、カリフォルニア州にある人口3万5千人程度の小さな町には、4千人以上を収容する球場が存在した。
 マイナーリーグの3Aともなれば8千人以上の客席は不可欠になる。中には2万人以上を収容する球場もあり、昨年ベニーが在籍したオマハ・ロイヤルズ(3A)は23145人を収容する巨大なスタジアムを本拠地としている。

 ニッポンファームの球場事情は、2軍という存在がいかに蔑ろだったかの象徴と言える。1軍の付属機関としての位置付けが強いだけに、練習できる環境さえ確保出来ればそれで万端なのだ。被害を受けるのは選手と観客である。地方には立派な球場が点在するが「1軍からほど近い距離に2軍を置きたい」という思惑と「選手の寮が球場に隣接している」という事情があるので、おいそれと移転は出来ない。
 そうした中で、ハード面で唯一アメリカに対抗出来るのが、総事業費130億円を投じて1996年12月に完成したファイターズタウン鎌ヶ谷である。シャワーの付いた広々としたロッカールームに食堂も備えたこの球場に関してだけは、李だけでなく同行している韓国人記者からも安堵と感激の言葉が洩れた。
 6月4日、李は25日振りに1軍に合流した。
2 軍では13試合に出場して「数字を残してから上がって欲しい」と言うハイディ古賀の注文に応える成績を残した[別表参照]。左足を上げないノーステップの打撃フォームに改造、片言の会話でチームメイトに溶け込んだ。技術的にも精神的にも課題を克服しつつある。
 ハイディ古賀は「のんびりとしたファームの野球の中で精神的にリフレッシュして欲しい」という要望を出していたが、「打席で余裕が出て来た」と変化を認めている。
 李が在籍している間、マリーンズ2軍は10勝3敗と好調に過ごした。本人が「こういう状況は今までにもない」と認めるほどの試練を迎えたが、ストレスを吐き出すことなくファームの劣悪な環境の中で必死に耐えた。失った自信を取り返し、アジアの本塁打王は幕張に戻ってきた。

[マリーンズ過去10年のトレード]
相手
球場
守備位置
1打席目
2打席目 3打席目 4打席目
5打席目
5/11
G
ロッテ浦和
代打→DH
中安
中2
三振


5/12
G
ジャイアンツ
5番・一塁
右安
三振
左安
四球

5/13
G
ジャイアンツ
5番・一塁
三振
ニゴ
四球


5/15
L
ロッテ浦和
5番・DH
左本
四球
犠飛
三振

5/18
S
千葉マリン
5番・一塁
中飛
遊飛
投ゴ
三振
敬遠
5/19
S
ロッテ浦和
5番・DH
三振
三振