![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
[4]復活までの道程 2004.4/19 開幕から順調に飛び出したマリーンズ1軍だが、チームの戦力は100%ではなかった。チームの原動力になるべき2片のピースを欠いたままのスタート。そんな中、ファームで調整に励んでいた2人が相次いで1軍昇格を果たした。 1人は、小野晋吾。 座骨神経痛の再発で3月9日に2軍落ちして以降、4月に入ってから2度の実戦マウンドへ上がった[別表参照]。 1試合目は「次はもっと良くなるよ」(ハイディ古賀)と言うように、試合勘を取り戻すだけでも十分な意義があった。 2試合目は内野ゴロを量産する小野らしい投球を見せたが、「前回の方が良かったかもしれんな」と言うほどハイディ古賀の評価は芳しいものではなかった。 そんな小野が4月14日に1軍登板を果たした裏には、12日に行われた投球練習があった。そこでの球の切れを見てハイディ古賀は1軍に送り出せるという判断を下した。 もう1人は、黒木知宏。 ファームで登板した3試合で圧倒的な成績を残した[別表参照]。その数字を見れば本人が「機は熟した」と言うのも頷ける。だが、ハイディ古賀も「3試合目(4月10日のシーレックス戦)が一番悪かった」と言う通り、投球の内実はそれほど楽観できるものでもなかった。 最後の2試合は共に横須賀でのシーレックス戦、成績通りの抜群の安定感を見せていた。とは言え、球の走りが悪くてもコントロールが定まらなくても、打ち崩すだけの力を備えた打者が見当たらなかったことも確かだ。打ち損じや走塁ミスなど相手の未熟さに助けられた面もある。そして何より「スパイスが足りない」と黒木自身が語るように、熱いエネルギーを発散させる黒木本来の投球を感じ取ることが出来なかった。言い換えれば、そこまで気持ちが高揚しなくとも抑えられる相手だった。 2軍での3試合において黒木が気迫を全面に押し出して投球したのは、鎌ヶ谷でのファイターズとの開幕戦が最初であり最後であった。 ハイライトは5回裏2死1・2塁、前の打席でホームランを許した藤島誠剛との対決。この勝負はさながら1軍の試合を彷彿させる緊張感に包まれていた。前回の打席で初球のカーブを運ばれた反省もあってか、直球勝負。 1球目はストレートで空振り。 2球目も速球にバットが空を切る。 3球目は1つ外し、4球目はフォークで空振り三振。 投げる度にうなり声がスタンドに響き、ボールに乗り移る。打者はその気迫と球の威力に圧倒される。それは全盛期の黒木を彷彿とさせる投球だった。 以前にも触れたが、日本の2軍における選手構成はベテランと若手選手のごった煮状態である。よって、選手の技量は様々だ。 シーレックス打線の場合は明らかに経験が不足していた。スタメン選手の1軍での出場試合数を平均すると各々26試合と36試合、個人でも小池正晃の88試合が最多だ。1軍半と言うよりも正真正銘の2軍打線が相手だった。 一方、開幕戦のファイターズは1軍での経験が平均193試合にも及び、100試合以上の経験者が6人もスタメンに名を連ねる1軍半と呼べるべき打線だった。 つまり、ここ2試合のシーレックス打線は、黒木を燃え上がらせるには十分な顔触れではなかった。マイナーリーグに例えれば、1軍半に相当する3Aの中に1Aクラスの未熟な若手が入り込んでいるようなものだ。 昨年の黒木はファームで14試合に登板して防御率4.00を記録。故障からのリハビリということを考えれば、実戦経験の勘を取り戻すためにはファームで力の劣る選手相手に登板することにも十分な意義があった。しかし、その段階はすでにクリアしている。1軍まで秒読みの調整段階にある選手にとって、力の差が歴然としている選手と対峙することはモチベーションの低下でしかない。 加えて、黒木は気持ちで投げる投手であることを忘れてはいけない。何万という大観衆の前こそが黒木をさらに高めさせるための舞台だった。鎌ヶ谷や横須賀での1000人程度の観客ではこれ以上気持ちが駆り立てられることもなかった。 結果的には2軍で最後となった登板後に「量は十分に満たした。あとは質を高めること」と言い、「質を高めるには投げ込みが必要かもしれないし、1軍で投げれば良くなるかもしれない」と続けた。口には出さなかったが、その目が訴えているのは「このまま2軍で投げ続けてもこれ以上良くなることはないよ」ではなかったか。 果たしてその1週間後、東京ドームの大観衆からカンフル剤を打たれた黒木は見事な復活を果たした。 995日ぶりの1軍のマウンドに上がった時と同じく、「サタデー・ジョニー」の抜けたマリーンズ2軍は熊谷でのジャイアンツ戦を迎えていた。 前回の3連戦ではこれ以上ない惨めな試合を繰り広げたが、この日は16安打(5本塁打)の猛攻で粉砕。 翌日のジャイアンツ球場での試合も「黒木さんは野球に対する考え方・取り組み方がすごい」(三島輝史)、「好きな投手は黒木さん」(内竜也)と公言するルーキーコンビの好投で連勝した。 シーズンが始まって間もない頃、ハイディ古賀はこう打ち明けた。「黒木と小野を万全の状態で1軍に上げること。それは我々に課された大事な使命だと思っとるよ」 故障からの回復に努める選手の早期復帰をサポートするのもニッポンファームの重要な役割である。1軍の連敗を食い止める救世主にはなれなかったが、マリーンズ躍進のためのパズルは出来上がった。その最後のピースをはめ込んだのは2軍だった。 シーズンが始まって間もない4月に「1軍の予備軍」としての役割をまず1つ成し遂げた。 小野晋吾のファームでの成績(2004年)
黒木知宏のファームでの成績(2004年)
[3]投手がいない 2004.4/12 「大差の負け試合になったらアメリカのように野手を投げさせるケースが出てくるかもしれんな」 冗談にも聞こえる口ぶりだったが、ハイディ古賀の目は真剣だった。そして開幕前に口にしていた不安は、シーズン開始から早々と現実に変わった。 劇的な開幕勝利を収めたのも束の間、マリーンズ2軍は4連敗を喫した。 打線の出足が遅い間に先手を許し、中継ぎが傷口を広げるという試合が繰り返される。 極めつけは3月31日のジャイアンツ戦、繰り出す投手がつるべ打ちを浴び15失点の惨敗。イースタンリーグ新記録となる7本塁打を献上する不名誉なおまけも付いた。 翌日も状況は変わらず、セラフィニ、内竜也を負け試合で使わざるを得ない悪循環。「そうは言ったって投げさせる者がおらんのだから」という言葉にも苦悩が伺える。 さらに4月11日のシーレックス戦、先発マウンドには「他におらんのだから」(ハイディ古賀)と中4日で高卒ルーキー三島輝史を送った。 開幕から10試合を5勝5敗で終えたが、「投手がおらん」はハイディ古賀の口癖になってしまった。 荘勝雄投手コーチにもそのことを向けると「大変だよ」とにこやかに答えてくれたが、投手のやりくりで苦慮している姿が伺えた。 追い討ちをかけるように、開幕から9試合中7試合に登板し勝ちゲームでの貴重なリリーフを務めていたセラフィニが4月11日に1軍昇格を果たした。 投手の数が少ないことはマリーンズ2軍を取り巻く切実な問題となっている。 理由としてまず挙げられるのは故障者の多さだ。 加藤康介、山崎健、田中良平らは別メニュー調整で今シーズンはこれまで登板なし。浅間敬太、舩木聖士は1試合だけの先発登板で戦線離脱。開幕から投げ続けてきた高木晃次、谷浩弥らもここに来て痛みを訴えている。残された投手は8人、その中には高卒ルーキーも含まれている。左肩手術を受けた成瀬善久はリハビリ中だが、他の3人の新人投手はすでに実戦のマウンドに上った。 特に、三島はローテーションの一角として、内は抑えの切り札として活躍しており、4月11日はこの2人の継投でシーレックスを封じ込めた。彼らの力が新人離れしていることも確かだが、チーム事情でのし上がったというのもまた事実である。 この日の三島は前回の85球から中4日で120球、内は前日の38球に続き27球。 「肩は大丈夫」と2人は声を揃えるが、プロの世界に飛び込んだばかりで緊張が拭いきれない18歳がこのチーム状況の中で「痛い」と言えるだろうか。仮に三島・内がパンクするような事態が生じれば、投手陣は壊滅するだろう。 ルーキーのコンディションに配慮しながら、綱渡りの投手起用が続いていく。 しかし、投手不足の原因はそれだけが理由ではない。 故障者の多さに対する責任を現場、トレーナー、本人に追及するだけでは「投手がおらん」問題の解決には結びつかない。 マリーンズの抱える投手陣の人数に着目すると、編成上の問題が浮かび上がってくる。 プロ野球12球団の過去5年における投手登録の選手数を比較すると、マリーンズにおける投手保有数の少なさが分かる[別表参照]。 顕著すべきは今年の投手数だ。12球団最低の28人だが、その中に含まれている高卒ルーキーの人数も考慮しなければならない。通例としてこの時期の18歳は体作りが主体で試合に出場しないケースが多い。今年のマリーンズが獲得した高卒投手4人を差し引いた実質的投手数は24人。過去5年で他チームを見渡してもこれほど少ない保有数のチームは存在しない。 つまり、故障者以前に投手の絶対数が不足しているのだ。高卒投手を4人も獲得することで若手投手の頭数は揃えたが、ルーキーに1年目から過度の期待を負わせることは危険である。 故障者が続出しなければこうした編成面での問題が顕在化することはなかったかもしれない。しかし選手にとって故障は付きもの。特に投手と言う人種は非常にデリケートで、大きな故障ではなくとも肩・肘に違和感を覚えて登板回避するケースも少なくない。コンディションに対しては野手以上に細心の注意を払う必要があるし、首脳陣は余裕を持った陣容で臨みたいのが本音だ。 ハイディ古賀もこれまでの編成に苦言を呈する。 「これまでの編成がどこかおかしいのかもしれないな」という口調からは現場を預かる者としての苦悩と怒りが汲み取れる。 ハイディ古賀もホークス時代に編成を経験している。2軍監督や1軍ヘッドコーチとしてだけでなく、あの根本陸夫の薫陶を受けていたのも事実だ。それだけにチーム構成に対する指摘は厳しい。 昨秋のバレンタイン体制発足から編成部長・球団代表という編成部門の要職に就く人物が相次いで失脚した。理由は定かではないが、中・長期的な視点におけるチーム作りに何らかの過失があったということだろう。 アメリカのマイナーリーグであればこのような問題で頭を煩わせることもない。各チームが抱える選手は200人にも及び、下はルーキーリーグから上はメジャーと7段階以上のレベルの中で配属される。 仮に投手が足りなくなるような事態が生じれば、下のレベルから選手を昇格させるなど補充することで常に一定の人数を保つことが出来る。中には日帰りで1日限りの臨時昇格を果たす選手もいるし、シーズン中の契約・解雇・トレードも頻繁に行われるので人の動きは絶えず激しい。 日本ではシーズン前に定めた通りの陣容で1年間を戦わなければならない。 70人という枠組みがある以上は増員を計ることは出来ないし、シーズン中のトレードも活発とは言えないので編成上の不都合が生じた場合でも調整することは難しい。 マリーンズ2軍も週5日の緩和日程と雨天中止のおかげで難を逃れているが、この先の連戦に故障者の復帰が間に合わないようだと窮地に追い込まれる。 1軍においてはリーグ有数の安定感を誇るマリーンズ投手陣だが、2軍を含めた組織全体として俯瞰すると、その実情は危うい。ひとたび1軍の投手陣に故障者が生じた時、どれだけ傷口を抑えることが出来るのか。 そんな中、唯一の高卒野手・藤井宏海の投手転向が決まった。 過去5年における12球団の投手数
[2]2軍の役割 2004.4/5 開幕2週目に入り、4人の選手が1軍から加わった。 これは「降格」よりも「合流」と表現した方が適切だろう。なぜならバレンタイン監督は、ミンチー、渡辺俊介、小林宏之、小宮山悟といった2戦目以降に投げるスターターを開幕1軍メンバーから外したからだ。 よって、彼らの1軍登録に合わせて清水将海、加藤康介、原井和也、佐藤幸彦の4人が順じ登録抹消となった。 これによって実質的な開幕2軍メンバーが集結したと言ってよいだろう。その数は38人、大所帯である[別表参照]。 マリーンズに限らず日本の2軍では、1軍での実績を積んだベテラン選手が経験も実力も乏しい若手と同じグラウンドで汗を流している。年齢や技量も違えば置かれている状況も異なる選手たちが混在しているのが特徴だ。 20歳の今江敏晃が曽我部直樹(32歳)、佐藤幸彦(35歳)と共にクリーンナップを形成すれば、テスト入団の谷浩弥の後を受けて高卒ルーキー内竜也が登板する。 これが1軍であれば年齢や経歴は関係ない。一定水準の技能を備えた選手同士がチームの勝利のために一丸となって邁進すればいい。しかし、2軍に同様の概念を持ち込むことは難しい。何歳であろうとも1軍の選手に比べて何かが欠落しているから2軍にいるのであり、その理由は選手によって様々だ。 勝利にこだわる戦いを続けながらも、個々の問題に応じた指導が首脳陣に求められる。 2軍に在籍する選手達を大別すると、年齢・技量・コンディションによって4つに分けることが出来る。 1つ目は「故障者」。 ケガからの回復に努める選手たちは2軍でリハビリに励む。1軍復帰を目指す黒木知宏、小野晋吾を万全の体制で送り出すためにサポートしなければならない。 2つ目は「ベテラン」。 1軍経験も豊富な彼らにとって2軍は調整の場に過ぎない。佐藤幸彦、高木晃次らにいつお呼びがかかっても準備万端で臨めるように、1軍の動向を確認しながら指導していかなければならない。 3つ目は「若手」。 長期的な視野に立った育成が許される金の卵たちは2軍の財産だ。高卒入団4年目以内に今江敏晃、西岡剛、早坂圭介、田中良平、浅間敬太、内竜也と楽しみな若手選手が並ぶ。彼らの成長が未来のマリーンズの鍵を握るだけに2軍の指導者に課せられた任務は重要だ。 最後の4つ目は「中堅」。 すでに若手の域を脱したがベテランと呼べるほどの経験を持たない選手たちがここに該当する。長期的なビジョンを描いた育成にもタイムリミットが迫っており、澤井良輔、ユウゴーなど期待されながら今ひとつ殻を破れないでいる選手たちには早急な成果が求められる。 このように1軍まで片足を突っ込んだ状態の選手と遥か遠い彼方でゴールも見えない選手が同じ2軍という名の下で同居している。こうした状況を選手の立場で考えれば賛否両論だ。 自身の1軍までの距離を正確に測りかねている選手が出てきても不思議ではない。 だが、1軍での経験豊富な選手から直接指導を受けることも出来るし、練習への取り組み・試合での気持ちなどプロとしての真髄を間近で吸収することが出来るのは大きな強みでもある。 とは言え、現場を預かる監督・コーチとしては頭が痛い問題だ。 ファームの本来的意義である若手の育成に全てを注ぎ込むことが出来ない。ましてや、選手・指導者としてマイナー・独立リーグを経験したハイディ古賀にとって、ルーキーリーグから3Aまでひっくるめた現行の2軍には戸惑いが生じて当然である。 アメリカのマイナーリーグでは、MLBを頂点に3A、2A、ハイ1A、ロウ1A、ショートシーズン1A、ルーキーリーグと階層が下がっていく分厚いシステムが構築されている。 高卒新人であればルーキーリーグからスタートし、大卒新人であればショートシーズン1Aからスタートするのが一般的だ。巨大なピラミッドの底辺から階段を駆け上がり、そのレベルに見合った実力を養っていく。 片や3Aクラスでは、メジャー経験もあるベテラン選手が昇格の機会を虎視眈々と狙っている。1軍半とも呼べる彼らは、上で何かあった時に換えの利く備えという意味で「スペアパーツ」と呼ばれる。 このようにレベルに応じた選別がなされているので、指導者の役割は明確だ。 1Aやルーキーリーグであれば、若手選手の育成に全身全霊を傾けることが出来る。目を付けた有望株がいればコーチが積極的に指導を進めることもある。 2Aは若手選手にとっての登竜門と言える。ここを乗り越えれば3Aを飛び越してメジャーに上がることも可能だが、壁にぶつかれば降格・解雇に行き着く。指導者はある程度完成された選手を慎重に見極めながら指導していかなければならない。 3Aであればベテラン選手の調整に主眼を置いて、メジャー球団を即座にバックアップ出来る体制を整えておけばよい。 翻って日本の2軍では、3Aクラスのベテラン選手とルーキーリーグ・1Aにいるべき若手選手が入り乱れている状況だ。しかも40人近い選手数を抱えることになるので管理は難しい。 70人枠という制度が存在する限り、3軍以下のレベルが形成されることは有り得ないだろう。過去にはオーナー会議で「ルーキーリーグ構想」が持ち上がったこともあるが、その後の進展は聞いていない。 システムの違いを嘆いても仕方ない。これだけ多岐に渡る役割を負いながらハイディ古賀はどのような指導を行っているのだろうか。 ハイディ古賀が監督を務めたサリナス・スパーズは1A、ベンチコーチを務めたソノマ・カウンティ・クラッシャーズ(独立リーグ)は2A・3Aに該当する。本人が「若手育成の仕事が自分の天職」と言うように、若い選手の成長に情熱を燃やすハイディ古賀にとって育成以外の仕事は本意ではないはずだ。 1軍の予備軍として機能するためにはベテラン選手の調整を疎かにすることが出来ないし、選手起用に関しての注文を1軍から受けることもある。「選手は試合の中で成長する」と考えているハイディ古賀にとって、若手選手の出場機会を奪うことは苦渋の決断だ。 ここまでの選手起用は、ベテランを優遇するでもなく、若手に偏向するでもなくバランス良く使いながら勝利を目指している。ジレンマを抱えての起用であるが、こうした柔軟な対応はホークスで3年間に渡る二軍監督の経験の賜物だろう。 与えられた戦力を駆使して勝利だけに邁進すれば良い一軍監督は、もしかしたら二軍監督よりも楽かもしれない。 こんなことを書いてはバレンタインに叱られるだろうか。 世間からの注目度・勝利に対する責任の重さが違うことは言うまでもないが、2軍の多岐に渡る役割を考えると、あながち的外れとは思えなくなってくる。 [年齢・ポジションから見るマリーンズ2004年のチーム構成]
赤文字の選手が実質的な開幕1軍メンバー [第2週]
[1]勝負と育成 2004.3/29 ファームの存在意義は選手を育てることにある。 しかし、そのためのアプローチは指導者によって様々であり、日本では明確な答えがでていないのが現状だ。 「勝負」と「育成」、相反する2つの課題の中で指導者は揺れる。 勝敗を度外視して選手育成だけに取り組む者、勝負事なのだからと徹底的に勝ちにこだわる者、中には両者のバランスに配慮する者もいる。試合展開によって勝負重視に転換したり、大事な試合の時だけ勝ちにこだわったりなど一貫性を見出せない方針も少なくない。 アメリカのファーム組織であるマイナーリーグでは200近くのチームが全米を中心に存在するが、「勝負」と「育成」に対する答えは同一であり不変だ。 徹底的に勝ちにこだわる。 勝負を挑み、その中で相手に負けない術を個人で身につける。 選手の成長は試合の中で育まれるという意識が浸透している。 2004年からマリーンズ二軍監督に就任したハイディ古賀もそのアメリカ式を踏襲する。 勝負を重視した選手起用・投手交代に対しては、時に非難めいた声も聞かれる。しかし、ハイディ古賀に迷いはない。これまでにアメリカで培った経験に絶対的な自信をもっているからこそである。 ハイディ古賀の経歴を簡単に振り返ってみよう。 熊本工、近大を経て読売ジャイアンツを3年で退団後、サンフランシスコ・ジャイアンツの秋季キャンプに参加する。本名は古賀英彦だが、「ハイディ」というニックネームが付いたのはこの頃だ。 それから数年間、ディケーター・カマドーズ(サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下1A)、ローダイ・クラッシャーズ(シカゴ・カブス傘下1A)というマイナーリーグのチームで活躍し、1969年にはグローバルリーグに参加し東京ドラゴンズの一員としてアメリカ、ベネズエラ、プエルトリコを転戦した。 リーグ解散後はベネズエラのウィンターリーグで3年間プレイしながらアメリカで過ごし、帰国後は大洋ホエールズ、太平洋クラブライオンズ、南海ホークス、福岡ダイエーホークスで、投手コーチ、通訳、編成などを担当した。 指導者としての経験も豊富である。 1990年から92年まで、マック鈴木の所属やホークス、スワローズによる若手選手の派遣で話題となったサリナス・スパーズ(独立系マイナーリーグ)で監督を経験している。 1996年から2000年にかけては、ホークスで一軍ヘッドコーチとニ軍監督を歴任。 退団後2001年は、佐々木誠と共にソノマカウンティ・クラッシャーズ(独立リーグ)に所属しベンチコーチを務めた。 日米を股にかけてこれだけ豊富な経験をして来た指導者は他に例をみない。そのハイディ古賀がマリーンズにやって来た。二軍監督というポジションを天職と公言するだけに、若手育成にどのような手腕を発揮するのか注目が集まる。 シーズン前には「このチームは変わるよ」と選手たちの今後の成長を確信していた。 3月27日、鎌ヶ谷で行われたファイターズとの開幕戦は、今年の意気込みを示すかのような熱い戦いとなった。 試合は7回までファイターズ先発・江尻慎太郎に手も足も出ない。 ネット裏ではジャイアンツ久保裕也の快挙が伝わる。 イースタンリーグ開幕戦でノーヒットノーランが2つも生まれるのか。 初戦から重苦しい雰囲気が漂ったが、記録を免れるどころか3点差を追い付いてしまったのだから勝負の世界は分からない。 こうなればハイディ古賀も積極的に動く。 9回裏2死2塁という一打サヨナラのピンチでは、自らマウンドに足を運び8回から登板している新外国人投手・セラフィニに声を掛ける。 「お前の球の速さなら相手は打てない、勝負しろ!」。 通訳はおらず、もちろん英語だ。集まった選手達には戸惑いの色が浮かんでいたが、彼らに構わず踵を返す。 「そう言えばキャッチャーもポカンとしていたな」と後に述懐したが、指揮官もまた勝負にのめり込んで熱くなっていた。 セラフィニはストレートで押し続け三振で檄に応える。 延長10回裏の締め括りは、抑えに任命された高卒1巡目ルーキー内竜也。 初登板で球が上ずっていたが、最高149キロのストレートと鋭いスライダーを武器に力投する。最後の二者連続見送り三振は圧巻だった。 「継投はプラン通りに進んだ」と言う通り、セラフィニ・内という勝ちゲーム用のリレーで勝利を呼び込んだ。 「勝てたことが大きいよ。開幕戦からどうなることかと思ったが」。 敗色ムードが濃厚の試合をひっくり返したのだから、その価値は計り知れない。それも開幕戦、今年一年を戦う上での決意をファンに対してだけではなく、選手に対しても表明することが出来た。 勝つことの喜びを味わうことで、選手はより勝利を渇望するだろう。そして、勝つためには個々が自分達で考えて知恵を養っていかなければならない。その中で選手の成長が促される。 延長10回表、曽我部直樹の勝ち越し3ランが飛び出した時の盛り上がりは異様だった。一発勝負のトーナメントを思わせるような爆発的な歓喜がそこにあった。 単なる2軍の1試合かもしれないが、選手の意識を呼び覚ますためには十分であろう。こうした劇的な試合をいきなり開幕戦で演じることが出来たのは、単なる偶然なのかもしれない。だが、ベンチ裏でハイタッチをしながらロッカーに戻る選手たちの表情を見ていると、何かを期待せずにはいられなくなる。 マリーンズは1軍・2軍を含めてBクラスに長いこと停滞している[別表参照]。 何かを大きく変えなければならないこの時期、負け犬根性を払拭することは優先課題だ。そうした意味では、勝利にこだわる指導者は今のマリーンズにうってつけかもしれない。 本人もチームの改革をバレンタインと共に実践する強い信念を持っている。 「勝負」を重視することは「育成」の放棄だという声もあるが、1年間の成果を鑑みるまで答えは判明しない。ただこの時点で分かることは、「勝負」にこだわる中で「育成」を成し遂げようという確固たる狙いがハイディ古賀の中にはあるということだ。 確かにアメリカ式をそのまま日本に当てはめることには危険が孕んでいるのかもしれない。しかし、そんなことは先刻承知だ。日米のギャップを踏まえながらいかに取り組んでいくのか。その中で選手はどういった成長を遂げるのか。そして、日本のファームはどのような道を辿るのか。 ハイディ古賀とマリーンズ2軍の2004年を見守りながら検証していきたい。 [マリーンズ1軍・2軍の過去の成績]
|